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踊りでどう食っていこうかなんて考えたことがない。自分が楽しくて踊っているのが常であるからその延長で踊りを教えたり、舞台に出演したりと、いつの間にか自分の進路が決まってしまっていたようなもの。今まで踊りを仕事だと一度も思ったこともない(踊りが仕事でなければ無職ということになってしまう 笑)。そんな感じでも自分としては特に構わないと思う。社会の常識には到底はまらない人間だっている。人それぞれ違うから均等が取れていることだってあるだろう。まあ大した額にはならなくとも少なからず戴くお金でなんとか今のところ環境と運が私の味方をしているので生活ができている。踊りは私にとって使命であり、一生を通してこれと向き合っていくことは生まれながらに決まっていた。

魂との対話

最近、人に踊りを伝える喜びを感じられるようになった。
共感できるということは心地の良いものだ。私の伝えたい踊りとはなんなのか?踊りを伝える上で目指していることはなんだろう?と自分の魂に問うてみる。自分の頭で考えようとすると、カッコイイこと言ってしまいがちなのでどちらかと言えば私という肉体の主である魂に問うほうが良い。

『私の魂よ、私は踊りを伝える上で何を目指すの?』


私の魂はすーっと反応する。

“みんながそれぞれに踊りを通して浄化できるようになったらいい・・・”



『それは一体どういうことだろう?』


“自己顕示欲の捌け口としてではなく。それぞれが自分自身のために宇宙とつながり、自分を浄化しつつ、周りにいる人の邪気も払うような良い波動を送れる存在になること。そしたら皆んなが幸せになれる。決して見せるためのものではない。本気で繋がっていれば見たものにも感じるものがあるし感動させられる。”

私の魂はさらに続ける。


“そして自分が何かと繋がる感覚を阻止しないようにしていかなくてはならない。
それは光を遮るのと同じことで、自分の光を自分自身が認識してその光を周りに照らせることが踊りとして大事なこと。見せるのではなく、照らす。照らされるのではない。”

シンクロニシティー

自然にかえる、体が素直に力を入れ込まずに動ける延長に踊りはある。自然体を維持しながら動き続けることを忘れない体づくり。踊りは自然と根本を意識できればうまくなるだろう。人は作り過ぎてしまう。作るということは素晴らしいけれど、作りすぎる。そしてわけの分からないものになろうとする。わけも分かっていないのに・・・
自分自身にどこまでも忠実に清くあり続けてみるほうがいい。
なぜなれないものを求めるのか、可能性を信じられるのは良いが、自分の個性を失う必要はどこにもない。力の抜けた素晴らしさ。力を抜くということは熟練の証である。頑張ろうとするとどうしても力を込めてしまう。しかし、踊り続けることで必ず力の抜き方を知っていく。そしてはじめて肉体ではなく、肉体の奥に宿る魂が可視化されるような踊りになっていく。

踊りは魂の波動であり、空間との調和であり、自然との共鳴であり、宇宙とシンクロする。そしてそれは光であり波であり熱である。人とシェアするものであり、繋がるものである。踊りは感覚であり肉体である。そして星のように何光年離れていたとしても瞬いた光が必ず誰かの心に届く。踊りの感性と記憶はあらゆる時間軸を超えて受け継がれていく。

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