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自身のライフワークの一環としてキコヤタカラ琉「スローダンス」のクラスを2022年から徐々にはじめていくことにしました。
スローダンスについて自分の思うところや考えを書いていこうと思います。

最初にスローダンスを提唱した人

TOKYOZAを主宰していた今は亡きエムザブロウという私の師匠が晩年に提唱していた「スローダンス」。

エムザブロウ氏は改名以前、ジュン・キョウヤとしてTOKYOZAダンスカンパニーを立ち上げ、ルイジジャズがベースとなったオリジナルエクササイズに、アルビン・エイリー氏の創作の思想にインスパイアされた作品などを多く創り、ジャズダンスやポール・テイラースタイルのモダンダンス等が融合したようなオリジナルスタイルでジュン・キョウヤ派「ジャズバレエ」を提唱。晩年はエムザブロウと改名。「スローダンス」を提唱していたが、2012年に他界。

キコヤは、子供の頃からTOKYOZAスタイルのジャズバレエを学び、15歳から渡米。クラシックバレエやモダンダンス(特にベラ・ルイツキー、マーサ・グラハム、ホセ・リモーン等)、コンテンポラリーダンスなどを中心に様々な踊り方や表現を学ぶ。二十歳からはフラメンコに没頭し、現在は琉球舞踊を勉強中。(細かいダンスヒストリーはプロフィールに記載しているので、ここでは大まかに説明)

エムザブロウ氏から学んだこと

私がエムザブロウ氏から学んだ踊りは、形や動きということよりももっと哲学的な部分が大きい。シンプルに踊ることの良さ、素晴らしさを存分に知ることができたということ。結局、踊りとは完璧性や形ではないということを学んだのだ。踊りのクラスのみならず、エムザブロウ氏の創る作品は絵画のようだった。感覚が調和をもたらしていくようなもの。それは例えば人間的でもありながら、幾何学的でもある。踊りは、宇宙だと感じた。

良いものを心底で共有できているとき、そこには本来の自然な感動や幸福感がもたらされる。人間社会特有の妬み、独占欲や支配欲、景観を害する壁と化したゴミの数ほどあるくだらないルール。本来の踊りとは何か?を日々考えてしまう・・・

そして、いつも初心に戻る。

私は小さい頃から、踊ることで自分自身を調和させてきたということ。踊りは動きでもあるが、決して見た目だけが大事なのではなく、エネルギーが流動する自分の肉体を通して地球と宇宙と繋がること。そうして自ずと喜びや幸福感を感じることができる。

私のスローダンスに繋がる

私は自己流の「スローダンス」を始めようと思った。

小さい頃から体に踊りを叩き込んできていると、自分の体の老いには敏感だ。20代後半から徐々に体に溜まる鉛のような重さやある種の鈍痛のようなものを感じ始めた。若い頃は動けば消えた痛みや疲労が、歳を重ねる毎に簡単には発散できなくなってくる。体ともっと時間をかけて向き合わなくては動きたいようには動けないという身体的な限界が見え始めたのだ。

しかし歳とったから踊れなくなるということはなく、自分の体に合った表現方法や体の使い方をしたらいいのだ。そう考えた時、モダンダンスのような抽象的表現、フラメンコのようなリズムカルで情緒的な表現、体の動きが極限までシンプルな琉球舞踊、色々な踊りと動きを用いて日々インプロビゼーションし体の赴くままに踊っていると、ふと「スローダンス」というものが自分の経験と体の中から浮かび上がってきた。

晩年のエムザブロウ氏が提唱した「スローダンス」とはなんだったのだろうか。思いを馳せて言語化してみる。

”体を無理に動かしたり型に体を合わせていくのではなく、体の奥から動き全身でエネルギーの流れになること。それぞれの個性をそれぞれが生かして踊れるということ。踊りはエネルギーであり、存在そのものであるということ。そしてその存在は肉体が消えても尚、スピリットとして生き続けるということ。”

エネルギーが輪廻していく感覚。体の中で円を描き続ける感覚。色々な言葉が生まれてくる。

きっとどれも感覚的に正しいのだろう・・・

踊り続けることで、生きるということを学ばさせて頂いている。

エムザブロウ氏にリスペクトと感謝を込め、大切な師から学んだ踊りの素晴らしさを新たに様々な人と共有していこう。

亀甲谷 宝

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